

都響のマーラー史に刻む━新たなる古典への回帰
東京都交響楽団 首席客演指揮者


都響のマーラー史に刻む━新たなる古典への回帰
東京都交響楽団 首席客演指揮者
© T.Tairadate
2016年7月24日(火)サントリーホール
指揮/アラン・ギルバート
東京都交響楽団
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
文/小田島久恵(音楽ライター)

2016年7月25日
第812回定期演奏会Bシリーズより
© Rikimaru Hotta
12月の都響スペシャルと定期演奏会Bシリーズでマーラー『交響曲第6番 イ短調《悲劇的》』を振る首席客演指揮者アラン・ギルバート。『交響曲第5番 嬰ハ短調』(2016年7月)と『交響曲第1番 ニ長調《巨人》』(2018年7月)で、都響のマーラーに新風を吹き込んだギルバートが選んだ「3つめのマーラー」は、編成においても劇的表現においても巨大さを究めた交響曲第6番。ハンマーやカウベル、シロフォンなど多様な楽器が使われ、特に第4楽章で勢いよく振り落とされる巨大なハンマーは特徴的だ。ギルバートはニューヨーク・フィル音楽監督時代にもこの曲を採り上げており、深い絶望とともに描かれた「人生の肖像画」に強烈なショックを受けたと語っているが、それはマーラーの「心の旅」を純粋に綴ったものでもあるともいう。
波乱に満ちた作曲家の生涯
マーラー40代前半の1903年から1905年にかけて書かれた『交響曲第6番』《悲劇的》は1906年に自身の指揮によりエッセンで初演された。この時期はマーラーにとって人生最良の季節であり、1897年から就任したウィーン宮廷歌劇場監督として精力的な指揮活動を行い、1902年には前年に出会った理想の女性アルマ・シントラーと結婚。1903年には初めてオランダを訪れ、アムステルダム・コンセルトヘボウで自作の交響曲を振り、成功を収めている。アルマとの間に長女(02年)と次女(04年)にも恵まれ、公私ともに幸福の絶頂にあった。しかし、06年の《悲劇的》初演の後、マーラーは立て続けに大きな不幸に襲われる。幼い長女が病気で亡くなり、自らは心臓病を発病し(今日では誤診であったことが判明しているが)、その上陰謀によってウィーン宮廷歌劇場のポストを追われてしまうのだ。死や葬送といった作品の中の不吉な暗示が、そのまま現実となったしまったことは、まさに悲劇的としか言いようがない。

幸福の絶頂期に書かれた交響曲第6番《悲劇的》
構造としては純然たる4楽章形式で書かれ、第1楽章は明快なソナタ形式で提示部がリピートされるなど、古典的な交響曲の書法への回帰がみられる。第1楽章は、軍隊行進曲の威圧的なモティーフが登場し、嘲笑うようなシロフォンの音がグロテスクな死の舞踏を仄めかす。マーラーが幼い頃に耳にしていた軍隊音楽の記憶が、無意識の中で変形されて書かれたものなのだろうか。有名な交響曲第5番「アダージェット」と同じヘ長調で書かれた第二主題は壮麗で、シンフォニックな拡がりをもつ魅惑的なモティーフであり、アルマの主題とされるもの。妻アルマとの蜜月時代がぎりぎり続いていたことをほのめかせる(のちに夫婦関係は破綻する)。
第2楽章と第3楽章は、初版では「スケルツォ→アンダンテ」の順で出版されたが、その後マーラーが自らの指揮で「アンダンテ→スケルツォ」として実践した末に、1907年のウィーン初演では「スケルツォ→アンダンテ」に戻した。マーラーが生前に第6番を演奏したのはそれが最後だったため、これが作曲者の結論としてマーラー協会の全集版でも踏襲されている。しかし近年、ウィーン初演の順番も「アンダンテ→スケルツォ」であったとする説が提唱され、議論が続いている。歴代の巨匠たちの録音では、指揮者によって両方のヴァージョンを聴くことが出来る。
アンダンテ楽章(第2楽章)のロマンティックな美しさはマーラーの書いた旋律の中でも「極み」と呼べるほどの深遠さだ。バーンスタインやアバドはこの楽章でしばしば涙を浮かべながら指揮をしている。ここで描かれている世界は、オーロラの光ふりそそぐ白鳥の湖か、黄泉の国か、幻の次元なのか…現実を忘れてしまいそうな濃密で神秘的なアンダンテ楽章をギルバートは都響とどのように奏でるのか興味はつきない。
第1楽章の第一主題が三拍子に展開されるスケルツォ楽章は、トリオで子供のような無邪気も感じさせ、マーラーが幼い長女の可愛らしい動きをスケッチしたのではないかと想像する。子供が見る夢に登場する、竜か大蛇のような「怖い」モティーフが乱入してくるのもマーラーらしい。管楽器の不気味な音が、邪悪な生き物を想像させる。変幻自在の音楽のコラージュが次第に狂気の影を帯びていく様は、マーラー独特の書法である。
第4楽章のフィナーレはすべて2拍子と4拍子で演奏され、終盤に向かってテンポを加速させ、「運命の打撃」を表徴するハンマーが登場する。巨大化したオーケストラが雄弁な物語を語り、「弔い」を暗示した暗い金管の響きが耳に残る。曲は静かに終わるが、その後の完全な静寂はとりわけ貴重な瞬間だ。拍手やブラボーは、この余韻をしっかりと味わったあとで行いたい。
アラン・ギルバートと都響

© T.Tairadate
アラン・ギルバートは最新のインタビューで、「日本ではスタンダードなレパートリーが演奏されすぎていますから、なるべく避けようと思っていたのですが、最近は考えが変わりました」と語っている。2018年7月に都響と演奏したドヴォルザークの『交響曲第9番《新世界より》』が予想以上に好感触で、偉大な名曲を違う視点から見ることが出来たことがきっかけだという。12/8.9の定期演奏会C、Aシリーズでは、これまでのギルバートのコンセプチュアル路線を引き継ぐ、比較的レアな曲が並ぶが、そうした「万華鏡のような」指揮者の多面性を表したプログラムがある一方で、古典的な名曲や大規模編成のマーラー、本人が得意とするブルックナーのような大曲も今後ますます増えていくことだろう。
ギルバートの音楽は軽薄さからは程遠い。ある意味、とても重厚で地に足がついているのだ。ブラームスやブルックナーではクラシックの伝統の真髄を詳しく学んだ音楽家ならではの、正統派の解釈を聴かせる。それは先人から自動的に引き継いだ伝統ではなく、ギルバート自身がスコアと対峙することによって、初めて本物になる「伝統」だ。一方でジャズやポップ・ミュージックにも詳しいギルバートは、つねに21世紀を生きる人間としての態度も持ち続けている。生粋のニューヨーカーである彼は『マイ・フェア・レディ』のようなミュージカルも、首席指揮者を務めるNDRエルプフィルの年末年始コンサートで振る。
以前から大きな興味を抱いていたというオペラの指揮も続けており、ここ数年では世界の有名歌劇場でピットに入っている。(都響とともにピットに入る日も遠くないのではないだろうか)。ジャズのレコード・コレクターで、オフタイムにはジャズのドラマーにも変身する。「変身」というのは、ギルバートの本質かも知れない。曲ごとに異なる様式で振るのは普通の指揮者だが、彼は遺されたスコアと深い次元で交信し、演奏会のたびに作曲家の精神と完全に「一体化」するのだ。
都響は言うまでもなく、若杉弘、ベルティーニ、インバルと計4回におよぶマーラー・ツィクルスを完結させてきたスペシャリストで、過去2回のギルバートとの5番、1番も指揮者が求める奥深い次元まで理解し、あるいは求める以上の世界を描き出してきた。プレッシャーの大きいトランペット・ソロを見事にこなす首席奏者がいることもオケの大きな武器だ。首席客演指揮者に就任してからパートナーシップはいよいよ進化し、最新の『交響曲第6番』が上演史に残る名演になることは明らかだろう。2011年の初共演以来「奇跡的ケミカルが起こる」と、互いに相性の良さを認め合うギルバートと都響。この複雑で美しい曲でさらに高みに昇り詰めることは間違いない。

© T.Tairadate
2019年12月14日(土)14:00開演(13:20開場)
サントリーホール
2019年12月16日(月) 19:00開演(18:20開場)
サントリーホール
指揮/アラン・ギルバート
マーラー:交響曲第6番 イ短調《悲劇的》